平成ミ語法|香珈房Blog     

2019年1月19日土曜日

平成ミ語法

少し前にラジオで日本語学者で大阪大学教授の金水敏(きんすいさとし)先生が話しておられた「平成ミ語法」の話が面白かったのでご紹介。

ミ語法とは、形容詞の語幹に「み」をつける用法のことで、たとえば百人一首の「瀬を早み 岩にせかるる 滝川の われても末に あはむとぞ思ふ」の「瀬を早み」(川の瀬の流れが早いので)のように、かつては理由をあらわす用法として用いられ、平安時代には廃れてしまったのだそうです。

そして現在の用法としては、「深み」「悲しみ」のように形容詞の後ろに「み」をつけて程度を表す用法が一般的にみられますが、「み」をつける形容詞は非常に限られている現状がありました。

しかし、今まで使わなかった形容詞に「み」をつけて表現する表現がツイッターなどネットから広まり、日常生活でも使うようになってきているということです。

国立国語研究所のホームページにも例文が載っていて、

「今年の花粉はやばみを感じる」
「卒業が確定して今とてもうれしみが深い」
「夜中だけどラーメン食べたみある?」
「その気持ちわかるわかる、わかりみしかない」

というような表現がされるようになっているということです。

個人的にはまだあまり触れたことのない表現ですが、「やばみ」はどこかで聞いたことがあるような気がします。みなさんはどうですか?

研究された方によると、2007年くらいからこうした表現が登場しているそうで、平成に生まれた新しい語法が一般化してきたということで金水先生は「平成ミ語法」と呼んでいるということです。

どうしてこういう表現が出てきたかということについては、ネットの言葉には自分たち(特に若い人が多い)の世界を共有したいという意思が働いて、新しい言葉遣いを積極的に取りあげる気風がみられることが大きいのではないかとのことです。今まで使ってこなかったこうした表現が取り上げられるのはネット社会だからこそで、それがどこまで一般化するのか注目していきたいとのことでした。

でもやはり、まだこの語法はまだ若い人同士に限られているようですね。

学校で

「先生!わかりみがありません!」

というような学生はまだいないということでした。まだ仲間内だけの遊び半分の表現ということで、これがさらに一般化するのかどうかが学者として注目しているところなんだそうです。

学校の先生だと、「ちゃんとした日本語を使いなさい!」って一蹴されてしまいそうですけど、学者さんだと逆にテンション上がるんでしょうね、きっと。

さて、他にも形容詞につけて程度を表す言葉に「さ」もありますね。

「やばさ」「寂しさ」「新鮮さ」など、「さ」はどんな形容詞・形容動詞にも付けられる感覚があります。

ではなぜ「み」が付けられるようになったかということについても考察されていました。それは「み」には感動・喜び・恐れなどのしみじみ感が出るからではないかということでした。

「深み」「悲しみ」「楽しみ」などに「み」が使われることからも分かるように、「み」は感情と結びついていて、単に抽象的に程度をあらわすのではなく、使っている人の感情を引き出しやすいという性質がもともとあったので、それを他の形容詞に広げて使っているということのようです。しかも「わかりみ」にいたっては形容詞でもなく動詞の連用形にまで「み」が広がっているのがおもしろいとも仰っていました。

こんな風なお話でしたがいかがだったでしょうか。


若者が作り出した用法の中には、一時的なもの、あまり一般には受け入れられなかったものなどももちろんたくさんあるでしょう。

でもこの「平成ミ語法」についての話について考えてみると、

若者は別にミ語法について学校で学んで新しい表現を作ったのではなく、感覚的に新しい表現をしているわけですよね。

それがきちんと「み」という語の持つ意味や力を捉えているというところが、とても興味深い点だなと思いました。

外国語を流ちょうに話せる人にとっても、心や感情に直接届くのはやはり母語であるということが言われますが、まさにそういうことなんだろうなーと思った次第です。