5月 2015|香珈房Blog     

2015年5月30日土曜日

2015年6月のお休み

水・金・日 定休

水・金は焙煎・発送作業のみ行っています。

2015年5月23日土曜日

そばアレルギー

わたしはそばアレルギーでした。
物心つくまえに症状が出て、それ以来一度もそばを食したことがありません。
好きなものが食べられない方はつらいこともあるんだろうなと思うのですが、わたしはそばの味を全く覚えていないので、食べられなくても全然問題ありませんでした。
しかも、そばアレルギーは少量で命に係わる場合もあるので今後は絶対食べるなとお医者さんにも言われている、と親に教え込まれてきたので「アレルギーは大人になったら治ることもあるっていうし、一口だけ食べてみようかなー」ってのも恐ろしくてできませんでした。あたりまえだけど。

そんななか最近、血液検査でアレルギーも検査できるということを知り、やってみることに。
つい先日、その結果がでました。

すると・・・なんと!

治ってるじゃないですか、そばアレルギー!

用紙を受け取り、先生は数値出てる花粉アレルギーについて話し始めたのですが、そばの項目を凝視する私の耳には全然入ってこない。思わず話の途中で遮って聞いてしまいました。
「これは・・・そばアレルギーじゃないってことですよね!」
「え?そっち?」
「そっちです。小さいころに出たのでずっと気になってたんです。これ、そういうことですよねっ」
「うーん、そっちかぁ。まぁ、この検査ではそういうことですねぇ」

ん?なんだ、この煮え切らない感じは。
不思議に思いつつ他の気になる項目に目を留めた私はあれ?と思う。

「先生、私猫アレルギーなんですけど、これも反応出てませんね?」
「皮膚には反応しなくても、他で反応することもありますから・・・お薬でも、薬の成分そのものは問題なくて、それを包んでるものに反応する場合もありますので、そばももしかしたら他のものに反応することがあるかも・・・」
「えー、先生が科学的に出た結果信頼出来ないんじゃあどうしようもないじゃないですか。折角そば食べられると思ったのにー」
「うーん、でも今の科学でもわからないこと結構多いんですよ・・・」

ちょっと意地悪で突っ込んでみただけなんですけど、先生謙遜。

「そうなんですね。ところで先生、この辺でおいしい蕎麦屋さん知りませんか?」

人の話を聞いとるのかって感じですが、先生はその後も真摯に対応してくださいました。最後にくれぐれも近くに病院のない田舎の山奥で食べないよう念を押され、結局アレルギー検査で陰性とされたものの、「一口だけ」に対する恐怖心もいまいち払拭できず、未だそばは口にしておりません。

でも困ったことに今回の検査のおかげで、
「そばアレルギーなんです」
ときっぱり言えなくなってしまった・・・。

「私、そばは食べないんです・・・。あ、いや、アレルギーではないんですよ。なんか検査では大丈夫みたいなんですけど・・・先生が太鼓判押してくんないっていうか・・・昔アレルギー反応出たことがあって、それから一度も口にしてないもんですから・・・」

ちゃんと説明しようと思うと、かなり面倒くさいことになる。

問診票のアレルギーの項目にも書いた方がいいのか全く書く必要ないのか、その都度考えちゃうんだろうな。

いっそ、アレルギーって結果だったほうが楽だったのかも。

2015年5月18日月曜日

どんな軽いアプリでも固まるときは固まるってことなんだな、きっと。

いつもブログを書くとき、Windows8のメモ帳を使って下書きをして、それをブロガーにコピペして体裁を整え、投稿します。

で、先日も書いていたわけです。いつも通り、ゆるーい話を。
ところが、思いつくままに書いているとなかなかの長編になっていました。

そうなると、ある程度ではありますが文章が冗長にならないようにとかリズムなどを考えて読み直しては修正をします。そんなことをしているとあっという間に時間が経ってしまいます。

その日も書きはじめて2時間ほどが経っていました。
あー、もういいだろう。と思ってとりあえずメモ帳のデータをセーブしようとしたのですが・・・

なんと、メモ帳がフリーズ。

「うそーん。まぁじでぇぇ。」

思わず声が出ましたよ・・・

ワードのように自動バックアップがないので、その時入力した内容は強制終了と共にぜーんぶ消えちゃいました。
いやまいった。まさかメモ帳がフリーズするとは思わなかった。
しかもWindows95くらいの時期によく味わった空しさを今になってまた味わうとは・・・。

後日、気を取り直してもう一回同じことを書こうとしましたが、やっぱり無理でした。
全く同じ文章でなくてもいいはずなのに、なんかこれじゃない感がすごくて全然乗ってこないんです。
やはりものを書くときその時そのタイミングで出てくるものってその時だけのものなんでしょうね。
気持ちとか、思考とか。

皆さんもお気を付けください。
文章入力するのにメモ帳使う人あんまいないかもしれませんが。

2015年5月16日土曜日

今期初!

蚊にかまれた(¯―¯٥)

携帯をAndoroidのに変えたのでBloggerアプリから初投稿してみました。

2015年5月9日土曜日

目覚まし音

iphoneのアプリ
最近、早朝に焙煎を行っています。眠いんですが、毎朝というわけではないので。
集中できるのがいいんです。

で、もちろん目覚ましをセットします。
今使っているのはスマホのアプリ。

これまでは目覚ましらしい音に設定していたのですが、
もうちょっと爽やかに起きれんものかとアプリに入っている音をいろいろ聞いていると、
“優しい音のチャイム”というのがありました。

なんとなくバリの音楽みたいなゆーったりした音で、
「お、これいいじゃん、リゾート気分で起きれそう(*^_^*)」
と、さっそく設定。

そして翌朝。

5時にセットしたのに起きたのは6時。

・・・・おい。

いや、一瞬目は覚めたんですよ。
「あー、鳴ってるなー・・・zzz」って。

優しい音に癒されちゃったんですかね。
気持ちよく寝続けちゃいました。

ずーっと枕もとで鳴ってたみたい。
そりゃあもう、一瞬休日と間違えちゃいましたよ。



結論

目覚ましには目覚ましらしい音が一番ですね。

2015年5月6日水曜日

シェフレラの新芽!

今年のゴールデンなウィークは今日で終わりですね。
皆さんはどのようにお過ごしになられたでしょうか。

私の方はあまりいつもと変わらず、
久々にお誘いを受けてバレーボールをやったくらいですかね。
最近膝の調子もいいので、丁度いい運動になりました。
一日置いての若干の筋肉痛はありますが(~_~;)

さて、
本日開店準備の際、店前のシェフレラに水をやっていたのですが・・・

ん?


切り戻した幹から新芽が出ているではないですか!

いやぁ、ばっさりいっちゃってちょっと不安だったんで一安心しました。
シェフレラって本当に生命力のある植物なんですね。


切り戻しをした時の記事はこちら

2015年5月5日火曜日

英国といえばコーヒー?【雑学】

英国で25年ぶりにプリンセスが誕生したということでニュースになっていますね。便乗するわけでなないんですが、ブログを書くにもテーマがあった方が書きやすいので、折角ですから英国とコーヒーの深い関係について書いてみようと思います。

「でも、英国と言えば紅茶じゃないの?」そう思われる方も多いと思います。しかし、かつて英国でコーヒーハウスが大流行した時代がありました。そこはあらゆる階級の人が自由に出入りできる、英国男性の気軽な社交場として17世紀に登場してから瞬く間に流行し、18世紀の最盛期には3000店にも達していたと言われています。当時は英国といえばコーヒーと言っても決して過言ではなかったのです。その流行がいかにすごかったかを示すいくつかの興味深い出来事を取り上げてみました。


【ペニー大学】
この言葉は聞いたことがある方も多いかもしれません。英国のコーヒーハウスは“ペニー大学”と呼ばれることもありました。新聞や雑誌を無料で読め、いろんな人の話を聞ける貴重な場所であり、店に入る費用はわずか1ペニーだったことからそのように呼ばれるようになりました。

ただ、あらゆる階級の人々が自由に出入りできたので、客同士のトラブルを避けるため、コーヒーハウスの店主は「店内で喧嘩始めたる者あらば、コーヒー一皿を全員に振る舞うべし」とか「紳士階級の方、商人の方、当店にてはどなたでも歓迎す。一同共に座るのは無礼ならず」といった利用者の心得を壁に貼り出していたそうです。


 【風刺チラシ】
1663年に「一杯のコーヒー、あるいはコーヒーの本質」というチラシが登場しました。
そのチラシにはコーヒーやコーヒーを飲む人のことを「忌まわしき飲み物」「煤(すす)のシロップ、古靴の煮汁なり」「男並びにキリスト教徒をトルコ人に変えるなり」「罪犯せど、飲み物のせいと言い訳す」と書いてあったそうです。
偏見のかたまりみたいな内容ですが、このチラシは当時のコーヒーハウスの流行がどれほどのものだったかを示しています。その流行はそれまで英国男性が集う社交場の代表であったパブやビアホールからたくさんの客を奪うことにもなったからです。実際そのチラシには、コーヒーを罵る一方でワインについては「神々も飲みたる純な飲み物、人々飲す。芳醇なる葡萄酒により純化される」と持ち上げています。いわゆるパブやビアホール経営者らによるネガティブキャンペーンだったのかもしれません。

でも、「罪犯せど、飲み物のせいと言い訳す」なんて、どっちかってーとアルコールの方じゃない?って、このチラシを考えた人は思わなかったんでしょうか。ねぇ。


【コーヒーハウス閉鎖令】
1675年に国王チャールズ2世によって布告されたものの、国民の総スカンによりわずか10日で別の布告により事実上の撤回をするという・・・。

当時「コーヒーハウスの存続」が「言論の自由」を守ることを意味していたということを考えると、コーヒーハウスに集い、交わる人々がそこから生み出した社会経済への影響は決して小さなものではなかったことがわかりますね。




さて、18世紀後半になると英国男性の社交場としてのコーヒーハウスは衰退、多くは酒場などに形を変えていき、英国では他の非アルコール飲料として紅茶が広く飲まれるようになります。しかしコーヒーハウスの影響はヨーロッパ各地に及び、お洒落な社交場としてカフェが登場、エスプレッソやドリップなどの抽出法も確立され、コーヒーは市民の飲み物として広まっていきました。


今日でこそ英国は紅茶のイメージですが、コーヒー文化にも大きな影響を与えていたのですね。



(参考資料) 全日本コーヒー協会「Coffee Break Vol.77」22-23p、全日本コーヒー協会ホームページ「コーヒー物語-コーヒーハウスが作った近代」